外国人がつまづくつまずく「やりもらい」表現
前回、日本語は相手との関係性によって一人称さえ変わる、という話を書きました。
「わたし」「うち」「先生」「ママ」――
自分をどう呼ぶかは、常に“相手との距離”の中で決まります。
今日は、その延長線上にある、日本語学習者が比較的早い段階でつまずく難所について。
いわゆる 「やりもらい」表現 です。
同じ出来事なのに、動詞が変わる?
たとえば、「プレゼントを渡す」という一つの出来事。
- 私が友人に渡す → あげる
- 友人が私に渡す → くれる
- 私が友人から受け取る → もらう
英語なら “give” と “receive” の区別はあっても、
「誰が誰に」という視点の違いでここまで動詞が変わることはありません。
日本語では、出来事そのものよりも
話し手がどちら側に立っているか がまず問われます。
ここに、日本語らしさが凝縮されている気がします。
なぜ外国人に難しいのか
多くの学習者は、
- 「A gives B a book」= give
- 「B receives a book from A」= receive
という構造で理解しています。
ところが日本語では、
- Aが私にくれる
- 私がAにあげる
- 私がAからもらう
と、「私」が基準点になります。
つまり、日本語のやりもらいは
視点固定型の言語システム なのです。
主語よりも、“内と外”の感覚が優先される。
だからこそ、学習者はよく混乱します。
❌ 先生が私に本をあげました。
⭕ 先生が私に本をくれました。
文法は合っていても、
視点がずれていると「なんだか変」になる。
ここが最大の難関です。
さらに敬語が絡むと…
やりもらいは、敬語と結びつくと一気に難易度が上がります。
- 先生が(私に)くださる
- 私が先生にさしあげる
- 先生にいただく
「あげる」が「さしあげる」になり、
「くれる」が「くださる」になり、
「もらう」が「いただく」になる。
もはや語彙問題ではなく、
人間関係の立体パズルです。
外国人学習者が頭を抱えるのも無理はありません。
でも、ここに日本語の本質がある
やりもらい表現は、単なる文法項目ではありません。
そこには、
- 自分はどこに立っているのか
- 相手は内側か外側か
- どちらを立てるのか
という、日本人特有の関係性の意識が透けて見えます。
日本語は「事実」をそのまま描写する言語というより、
関係性を調整する言語 なのかもしれません。
だからこそ、
- 一人称が変わり
- 過去形で丁寧さを出し
- やりもらいで立場を示す
言葉が、常に“あいだ”を意識している。
外国人にとっては難解でも、
この複雑さこそが、日本語の奥行き。
教室で学習者が「あ、そういうことか!」と気づく瞬間は、
私にとっても小さな発見の喜びです。
言葉を学ぶとは、
その国の「人との距離のとり方」を学ぶことなのかもしれません。
今日のひとこと英会話
It depends on your point of view.
(それは、どの立場に立つかによります。)
やりもらいの世界は、まさにこれ。
日本語は、いつも“あなたはどこに立っていますか?”と問いかけてきます。
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