バニラの甘い香りに包まれているような気がする。
原田マハさんの小説『スイート・ホーム』の話だ。
原田マハさんの本は、私の中ではあまり「はずれ」がない作家の一人だ。
『楽園のカンヴァス』や『本日は、お日柄もよく』などの作品で知られているが、今回の本は、これまで読んだものとは少し印象が違っていた。
ときどき読んでいるこちらが気恥ずかしくなるほど、ただただ素直に人の温かさを描いている物語だった。
舞台になるのは、宝塚にある「スイート・ホーム」という小さな洋菓子店。
店の目印は、大きなキンモクセイの木だという。
物語は、その洋菓子店を営む家族と、店を訪れる人たちの小さな出来事を中心に進んでいく。
店主や家族、そしてお店に関わる人たちが、それぞれに悩みや迷いを抱えながらも、少しずつ支え合い、つながっていく。日々の暮らしの中で生まれる温かい時間が、静かに積み重なっていく物語だ。
キンモクセイは、私も大好きな花だ。
秋になると、どこからともなくあの甘い香りが漂ってくる。道を歩いていると、ふっと空気が変わる瞬間がある。
キンモクセイの香りは、ときどき「トイレの芳香剤の匂い」などと言われることがある。
けれど、それはキンモクセイに失礼だろう。
いくら香りをうまく再現しようとしても、
トイレのあの狭い空間にこもるムッとした匂いと、
街のどこかからふわっと漂ってくるキンモクセイの香りは、やはり別物だと思う。
洋菓子店が舞台のこの作品を読んでいるあいだ、
私はずっと やさしいバニラの甘い香り に包まれているような気がしていた。
お菓子の描写が多いからというだけではない。
登場人物たちの優しさや、店を中心に広がる人間関係の温かさが、どこか甘い香りのように物語全体を包んでいるのだ。
この小説には、誰一人として意地悪な人が出てこない。
毒のある人物もいない。いい人ばかりが登場する。
もちろん、人生はここまで甘くないとも思う。
それでも、こういう世界があってもいいのではないか、とも思う。
そこには、家族のひとつの理想の形のようなものが描かれている気がするからだ。
読み終えたあと、胸の中に小さな温かさが残る。
甘い香りのように、しばらく消えない物語だった。
今日のWord Note
ふわっと(fuwatto)
softly and gently spreading
香りや空気が、やさしく広がる様子を表す言葉。
「ふわっと香る」「ふわっと漂う」など、
強すぎない、やわらかな広がりを感じさせるときに使われます。
街を歩いていて、どこからともなくバニラの甘い香りが
ふわっと漂ってくる瞬間。
そんなとき、心がちょっと温まる人も多いのではないでしょうか。
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